【感想】ハーモニー/虐殺器官(著:伊藤計劃)
健康と幸福が管理された社会で人為的に引き起こされた世界同時多発自殺!
あらすじ
『ハーモニー』は、健康と衛生を監視するナノマシン『WatchMe』が体に組み込まれた近未来の物語。WHOに所属する螺旋監察官・霧慧トァンは、世界同時多発自殺の謎を追うにつれ、13年前に自殺したはずの親友・御冷ミァハの影を見出す。
「でも、本は重くてかさばるよ、持ち歩くには」
「うん、重くてかさばるから持ってるんだよ、霧慧さん。重くてかさばるのは、いまや反社会的行為なんだ」
まるでソプラノの喉を持つ男の子のような声で、ミァハは言った。
世界中で突如崩壊しだす健康システムと、その維持を担う監察官の追跡!
世界保健機関(WHO)から紛争地帯に派遣された霧慧(きりえ)トァン。彼女は現地民族から禁制品を受け取っていた規定違反で、日本での謹慎を申し渡されます。
久しぶりに故郷・日本へと帰ってきたトァンは、高校時代の旧友・零下堂(れいかどう)キアンと再会します。
あまりに統一された社会と、社会奉仕活動に喜びを見出しているキアンに、トァンはすれ違いを覚えます。この二人に加え、今は亡き親友・御冷(みひえ)ミァハは、健康からもたらされる幸福を監視する社会に反発し、その抵抗として自殺を図った仲なのでした。
高校生だったミァハは死に、トァンとキアンは生き延びます。
13年後の現在、レストランでヘルシーな食事を摂る二人。ミァハについて話していると、なんの前触れもなく、キアンはナイフによる自殺を実行してしまうのでした。
友人の死にショックを覚えるトァンは、しかし、すぐに世界中で同様の自殺が何千件も同時に起きたことを知ります。
トァンは現代社会にあるまじき悪知恵を働かせ、捜査に加わることに。全自殺者の死亡直前というストレスマッハな映像を見ているうちに、キアンだけが遺言めいた言葉を残していたことに気づきました。
違和感を覚え、さらに調べていくと、キアンは何者かからの通信を受けていたことが判明。しかも、その言葉遣いは――
死んだはずのミァハの面影を感じさせるものだったのです。
国家という組織から、管理組織『生府』という枠組みに変遷した社会
作中の社会はヘルシー至上主義な世界になっています。健康っていいよね! 精神衛生も保たないとね! 喧嘩なんてやめようよ、協調って大事だよ! そんな世界です。素晴らしいですね。
舞台背景から触れていきますと、この世界は、アメリカ国内で勃発した暴動が激化し、核兵器の流出とウイルスの蔓延によって崩壊しかけた世界、という設定になっています。
ナノマシン『WatchMe』の開発と、そのサーバーを運営する複数の企業によって、人々の属する組織が国の政府から医療共同体の『生府』へと変遷。
WHOはそれにともない権限を拡張し、もともと生府が遺伝子操作関係の技術に関与していないかを監視する役割だった螺旋監察局は、膨大な任務を抱える組織と化したのです。
その一構成員であるトァンは、かつてミァハに同調してシステムに反抗した人間。そして同時に、『WatchMe』を開発した科学者を父親に持つ人間でもあるのです。
調和と混沌の狭間に立つ者としてトァンは、ミァハの言葉や思想を振り返りながら、
- なぜ社会が健康システムを維持しなければならないのか
- なぜシステム外の社会に存在する娯楽を享受してはならないのか
- なぜミァハは反社会思想に魅入られ、キアンは自殺しなければならなかったのか
- そうしたことに摩擦を受ける『意識』とは何なのか
といったことなどに思案します。
トァンは主人公で、事態の一部始終を俯瞰できる人物ですが、社会システムを変えるほどの権力者ではありません。
この小説はトァンの視点を通じて何が起きたかを『読者』に知らしめる内容になっているのです。
(なぜ読者をカギ括弧で括ったかは、読んでいただけると分かると思います)
物語の登場人物が恐れるところの災厄『虐殺器官』
作中で語られる過去の混乱『大災禍(ザ・メイルストロム)』がなぜ起きたのかを知るには、伊藤計劃先生の前作、『虐殺器官』を読まれたし。
こちらのあらすじは、アメリカ情報軍の暗殺実行部隊に所属するクラヴィス・シェパード大尉が、平和だった国が急転直下、なぜか最悪の紛争地帯となる場所に必ず現れる男・ジョン・ポールを追跡するSFミリタリーとなっております。
ジョン・ポールは言語学の研究者で、虐殺の歴史を調べているうちに、虐殺の直前にメディアなどで無意識的に使われている言語パターンを発見。
逆説的に、言語パターンをメディアに潜ませることで虐殺は起こせるのではないか、というなんとも終末的な実験を行う男です。
それを追う主人公のクラヴィスは、ナノマシンで植物状態となった母の医療停止に同意したばかりで、母は生きていたのか死んでいたのか、もしも生きていたのなら自分の『言葉』が母を殺したのではないか、という疑念を抱きながら、一方で命令という他者の『言葉』でターゲットを暗殺する任務に就いています。
私が感じた『虐殺器官』は、
- 『言葉』が意識に及ぼす力や影響
- そもそも『言葉』を受ける意識とは何なのか
- どうして『言葉』は発達したのか
という思考を、クラヴィスという人物を通して考えていく物語となっています。
ジョン・ポールは虐殺の歴史や言葉の成り立ちに関心を示した人物です。
似たような共通点を、ミァハも持っているように読み取れます。
こうした二人に危機感を抱く体制側の人間が、体制の崩壊を阻止しようと動くという点でも同じです。(後者は存在をトァンしか認知していませんが)
さらにいえば、システムによって保障された『社会』の崩壊(あるいは……)を後押しするのは、そのシステムの欠陥を見抜いた人間ですが、実際に行動を起こして破壊するのは意識を刺激された人々である、という終末的な物語でもあります。
この二作に物語的な繋がりはなく、あくまでフィクションの歴史でしかありませんが、読んだ順番によっては『ハーモニー』が『虐殺器官』からの反動的な事件であり、『虐殺器官』が『ハーモニー』の過去に起きた絶望である、そんな楽しみ方ができるのではないかと思います。
ちなみに私は特に前知識もなく『虐殺器官』から『ハーモニー』の順番で読みましたので、トァンと冴木教授の会話でにやっとしました。
「あっ、これ関係あるんだ!」という楽しみもあるので、伏せておこうかと最初は思いました。
が、先述したとおり重大なネタバレでもないので、『虐殺器官』は『ハーモニー』の登場人物が恐れるものとして、ここに触れておきます。
まとめ
『ハーモニー』は人々の健康と幸福が約束された社会を成立させるために切り捨てたものを見つめ直しつつ、システムが行き着く果てを覗ける物語でした。
ストーリーそのものは、ある計画に関わる複数の組織の争い、その狭間で揺れる主人公という私の大好きなタイプで、難しい部分も含め、すごく楽しめました。
独特なHTML風タグの描写も戸惑ったのは初めのうちで、文法を把握すると非常に読みやすい、それどころか世界観の補強になる、まさに表現のスタイルだと思います。
監視社会とそれに反発する組織、パニック転落する世界、拡張現実技術、行動力溢れる女性捜査官、のどれかが好みの方にオススメしたい一作ですね!
*『虐殺器官』は2017年に、『ハーモニー』は2015年に劇場アニメ化されています。